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梁右典
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美麗島的台日歷史情感 – 《美麗島紀行》乃南亞沙

梁右典
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作者的豐富情感為台灣歷史注入許多活力,不是教科書般的歷史學習,而是觀察體會歷史如何在人們心中造成何種影響與回響,激起一波又一波的漣漪。

  歷史是溝通古今的精神橋樑,也是勾勒事實,聯繫情感的學科;沒有歷史,將不知何去何從,缺乏定位,猶如茫茫大海中失去方向的舵手。熟悉所處環境歷史,會激起心中感動,驚嘆「原來如此」!身在日本,那遠方的台灣,沒有正式邦交,為什麼在「311」大地震後,竟自動自發,以兩百億日圓援助呢?這是本書作者 乃南亞沙 的「大哉問」。她決定一探究竟,來台走訪,這本《美麗島紀行》就是在這樣「疑惑」與「解惑」心態,逐漸醞釀而成。

  「我們這個世代以前念書時,就連台灣曾是日本的殖民地都不知道,非但如此,到現在為止這段最重要的近現代史,在課堂上分配到的時間也少得可憐。」(頁207)此為作者的求學經驗與閱讀歷史的心情寫照。加以對照1960年代出生的台灣人,對日本在台(1895-1945)歷史,也同樣少得可憐。不平等待遇與光復的喜悅,是國民對這五十年歷史的認知,當然這是歷史教育與國家政治結合的產物。所以,作者所闡發的歷史情感是在2011年後的台灣與日本關係的時空脈絡。本書帶給我們的啟發是:歷史認識與自身經驗有所呼應才能引起共鳴,帶著自身疑惑,勇敢面對,空言不如力行。透過作者介紹,原來台灣歷史比書本所記的事件年代,來得生動、細膩且充滿韻味。

  透過實地訪查,日本在台五十年留下的歷史建築,自然引發作者無限懷古之幽情──「保留著北白川宮能久親王的石碑」(頁34);茂盛生長的植物──「一九二六年也來到台灣,當時就在新竹神社這裡親手種下了一顆黑松」(頁82),此乃是親王妃富子所植,由此象徵事件將作者帶回當時時空。歷史情感因而在這「美麗島紀行」顯得既豐沛又含蓄、低語又激昂。歷史離我們是那麼近,隨處即是。端看我們是否願意接觸。

  作者又採訪生長於日治時期的耆老,有那「一生擁有三個名字的老人」(頁80);也曾在台聽過知名歌曲「台灣樂」、「桃太郎」(頁54)。異鄉聽著故鄉歌,正表示歷史情感糾纏、緊密、繚繞的記憶線索,隨著音樂一一解開謎團,是他們走過的年代。

  在參訪二二八國家紀念館,「其中有不少寫給家人的遺書,使用的都是受過日本教育的人才寫得出來的流利日文,行文鮮明傳達了執筆者的心情,讓人讀來備感哀慟。」(頁130)作者感受得出光復後的知識份子慘遭厄運,面對國家機器的打壓,身歸於祖國,終以日文書寫,又是什麼樣的心情?

  不用說,作者的豐富情感為台灣歷史注入許多活力,不是教科書般的歷史學習,而是觀察體會歷史如何在人們心中造成何種影響與回響,激起一波又一波的漣漪。乃南亞沙的《美麗島紀行》是一本記錄台灣之書,含蓄、溫暖的情感,在全書俯拾即是,值得讀者細細品味。

【本文已刊載於《台灣通》,2020年9月10日。美麗島的台日歷史情感 - 《美麗島紀行》乃南亞沙 | 台灣通 (ethnolab.tw) 也已翻譯為日文,美麗島--台湾と日本の歴史の絆)】

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(日本語翻訳=Tannen、Kotaro)

美麗島 – 台湾と日本の歴史の絆

歴史は、現在と過去の精神をつなげる架橋であり、事実を説明することで感情を繋げていく学問でもあります。歴史がなければ、人は迷った船員みたいに、どこに行くべきか方向性が分からなくなってしまいます。自分が立っている場所の歴史を詳しく知れば、「なるほど!」という驚きと感動を得ることができます。日本と国交がない台湾は、東日本大震災が起きた後、どうして自発的に200億円を寄付したのでしょうか?これは、この本の作者である乃南アサが感じた大きな疑問です 。このようなきっかけで、彼女は台湾を訪れることをを決めました。《美麗島紀行》に書かれているのは、彼女が台湾の地で、この”疑問”への答えを考えた経過と心の変化です。

「私たちの世代は、”台湾はかつて日本の植民地だった”という事実さえ知らなかった。その上、このように重要な現代史は、授業で教わる時間も本当に少なかった」。作者は学生時代の経験を振り返って、このように語ります。1960年代に生まれた台湾人もまた、日本統治時代(1895〜1945)の歴史に詳しくありません。台湾人にとって終戦は、日本統治時代の不平等な扱いから抜け出せた光復の喜びであった、というのが、この50年に対する歴史認識ですが、もちろんこれは、歴史教育と政治が生み出したものでもあります。一方で、作者がこの本の中で語る歴史的な感情というものは、2011年以降の台湾と日本の時間的・空間的な新しい関係の中から生まれてきたものです。私たちがこの本から学べることは、歴史認識と自分自身の経験が組み合わさってこと、共感をもたらすことができるのだということです。私たちは自分の率直な疑問から出発して、勇気をもって歴史的事実に向き合うべきなのです。作者の紹介を通じて、私たちは台湾の歴史を、出来事の年代背景だけでなく、鮮やか、かつ詳しく知ることができます。

現地を実際に訪ねる中で、50年に及ぶ日本統治時代から保存されている歴史ある建物は、作者の心に無限の懐かしさを呼び起こします。──「北白川宮能久親王の記念碑も保存されている」;茂っている植物は──「1926年に能久親王妃富子様も台湾にお越しになって新竹神社に黒い松をお植えになった」と記し、作者の心は時空を超えて、鮮やかに刻まれます。「美麗島紀行」に書かれている、こうした歴史的な情感も、豊かで含蓄があり、静かな言葉で興奮する気持ちを表現しています。このように歴史は私たちのすぐ身近にあり、どこででも探し出すことができます。願おうと、そうでなかろうと。

作者も日本統治時代を過ごしたお年寄りたちにインタビューをしました。例えば「一生に三つの名前がある老人」とか;台湾で日本の名曲「台湾楽」や「桃太郎」を聞いたことがあるとか。彼女は異国で自分の国の歌を聞いて、歴史の絆はこんなに深く、しっかり繋がっていたことに気づきました。歌を聞くことで、彼らの年代のことが謎を解くみたいに一つ一つ分かってきたのです。

二二八国立紀念館を訪れて、「家族に送った遺書を読むと、日本の教育を受け流暢な日本語で書かれています。遺書を書いた人たちの気持ちがはっきり分かり、とても悲しかったです」。作者は、終戦後の台湾の知識人たちが悲しい運命に遭い、政府の圧制下に置かれ、”祖国”に戻ったはずなのに日本語で手紙を書いた気持ちに共感しました。

もちろん、作者は教科書のように台湾の歴史を紹介するだけではなく、台湾の歴史に豊かな情感を注入して、歴史がどのように人々の心の中に影響を及ぼしてきたのかをしっかり観察しました。そして、本を書いて大きな反響を引き起こしました。乃南アサの《美麗島紀行》は、台湾の歴史を描いた傑作です。含蓄があり、暖かい情感に溢れ、読者には細かく味わう価値があります。皆様にぜひ一度お読み頂けますように。

CC BY-NC-ND 2.0 授权