来自稻垣丰的投稿——关于滕彪被邀出席明治大学国际研讨会一事
中文翻译:
本文是我作为一个曾经协助过明治大学举办国际研讨会的个人所发表的感想。我想研讨会和意见的表达行动都是社会参与的一部分,因此会有各种各样的感想和反应,请将本文视为其中之一。
我拜读了针对滕彪先生参加明治大学国际劳动研究所研讨会的公开信,我感到内容是谨慎而礼貌的。在当今社会,女性仍然面临着持续的压迫,在#MeToo运动的浪潮下,我认为质询信里提出的疑问是理所当然的。在研讨会当天,我注意到有个人或团体在会场外进行了公开行动,对于这样勇敢的行为,没能当场表达问候,我十分非常抱歉。
虽然本文的发表有些晚了,但我想根据公开信提出的问题发表一些感想。
关于第一个问题。我已经通过新闻报道了解到了滕彪先生的事件,我也预想到邀请滕彪先生参加研讨会可能会受到女性主义者的严厉批评。后来,多位研究者与滕彪先生就该事件进行了交谈,我也听说虽然滕彪先生在某些方面与受害者存在意见分歧,但总体上他已经反省并道歉,并持续谦虚地接受着来自女性主义者和社会的批评。
关于第二个问题。在这一事件中,关于是否涉及强奸未遂以及是否存在身体接触等问题,当事人与滕彪先生之间存在着的分歧。但就算按滕彪先生的说法,发生的是他已经承认并为之道歉的“笨拙求爱”行为,我认为也构成了对当事人的威胁。
除了在一般的社会场景下,性骚扰和性暴力等问题也出现在社会运动中。许多人,尤其是女性,不知怎样应对这种“笨拙的求爱”,有时甚至会发展为遭受性暴力。受害者承受精神上的痛苦和压力,而后也持续经历创伤的状况,是到现在也没有改变的。对于这样的现实,我希望滕彪先生也能积极通过#MeToo运动学习。
我认为公开信的要求是希望研究所倾听、理解发声者的诉求。我自己也意识到,不仅是中国的“民运”,包括日本和世界各地的社会、家庭、企业、学术界以及社会运动等,都对这类事件认识不足。滕彪登台,导致人们感觉自己的声音被无视了,我对此感到抱歉。我愿意真诚地倾听大家的声音,共同思考并寻求指教。
如果研究所作为主办方不能诚实地回答大家的问题,那么在未来的行动中,包括滕彪先生等自由派人权活动家的行动就无法获得女权主义者们的信任。我认为在展望中国和世界的民主化进程时,如果没有能顶半边天的女性们的参与,就无法对抗强大的对手。
关于第三个问题,让发声的人们感到不安,让控诉被忽视,甚至可能让受害者因为提出了指控而不得不面对更多的批判,在这一点上我的认识是不足的。我为此感到抱歉,并希望能通过努力避免发生这种不幸的情况。
我认为与女性主义和#MeToo进行持续的对话和交流,应该是必要的。也就是说,对于这些我自己没能考虑到的问题,应该注意创造出一个女性能积极参与并易于提出问题的环境,我也应该始终投身于讨论之中。进一步来说,应该在一个彼此之间可以安心交换意见的关系中,互相指出那些可能导致严重后果的问题,并接受大家的批评,真诚回应。
另外,我也认为可以通过确保安全空间、确认基本规则、保护MeToo指控者、由第三方机构进行调查等方式,将#MeToo等社会运动中的讨论和实践纳入到未来的研究课题和活动方式中,这可能会有助于防止性暴力及其后续的二次性的伤害。同时这也意味着通过女性主义的主张来变革整个社会,我自己也需要不断进行意识上的改革。
至于第四个问题,这是一个非常令人痛心的问题。在当今社会,性暴力和骚扰已经无处不在,但我们也仅仅依靠自觉,没有采取任何具体的措施。另一方面,在本次研讨会上几乎没有女性演讲者,在这样令人遗憾的情况下,依靠阿古老师和各位协助研讨会的女性工作人员以及大学的女性职员的努力,这次研讨会才得以成功举办。在此情况下,我认为创造一个能够积极应对女性提出的批评的环境是非常必要的。
公开信中提出的问题基本都很有说服力,让我受益匪浅。
原本应该更早创造机会听取大家意见,并且积极做出回应。提出的质询不仅仅针对是滕彪先生个人的问题,也是针对整个社会纵容性暴力的问题,当然我作为社会一员也在其中。我认为应该更加有意识地行动起来,以防止研讨会这样一个原本应是为了改变社会而进行公共学习的地方,反倒成为进一步分裂女性、增加受害者的负担的地方。我对此感到非常抱歉。
我个人并不是自由派,而是左翼,我不打算将这一问题简单归为“自由派的问题”,左翼内部的性别歧视也可能会更严重。作为社会变革的盟友的自由派如果不与能顶半边天的女性们以及其他性别认同的人们共同合作,就无法实现民主和阶级的社会变革。
这次研讨会提出的各种讨论都很有启发性,希望讨论的成果能回馈给整个社会,期待研究所能够诚挚地应对。也期待今后能够继续保持合作。
稻垣丰
作为帮助组织研讨会的个人
日语原文:
(これはシンポジウムをお手伝いした個人としての感想です。シンポジウムも意思表示のアクションも社会的な取り組みですので、いろいろな感想や反応があると思います。そのうちの一つだと思ってください。)
研究所主催のシンポジウムに滕彪氏を招待したことについての質問状を拝見しました。とても丁寧な内容だと感じました。いまだ女性たちへの抑圧がつづく現代社会において、#MeToo運動の流れからしても、当然のご質問内容だと思いました。シンポジウムの当日には、他の個人やグループが公道でアクションをしていたようでしたが、そのような勇気ある行動に対して、ご挨拶もできず申し訳なく思っています。
大変遅くなりましたが、以下、質問に沿って感想を述べてみたいと思います。
質問1について。私は滕彪氏の事件を報道で読んで知っていました。滕彪氏を招へいすることで、フェミニストから厳しい指摘があるであろうことも想定していました。その後、複数の研究者が滕彪氏とこの事件の件について話をして、被害者との意見の食い違いはあるが、全体として滕彪氏が反省、謝罪していることや、滕彪氏が引き続きフェミニズムや社会的な指摘に対して、謙虚に受け止める姿勢だったことなどを聞いていました。
質問2について。この事件については、レイプ未遂であったかどうかや身体的接触があったかどうかなど、当事者間の間で食い違いがありますが、少なくとも滕彪氏が認めて謝罪した「不器用な求愛」行為だけでも、当該の女性にとっては脅威だったとおもいます。社会一般だけでなく、とりわけ社会運動のなかでもセクハラや性暴力などがいまでも見られます。女性をはじめとする多くの人たちが、そのような「不器用な求愛」に対する対応に困惑し、ときには性的被害に発展し、すくなくとも精神的な苦痛や圧力を受け、トラウマを抱え続ける事態が、いまでも続いていると思います。そのことについて滕彪氏も、#MeToo運動から学ぼうという姿勢があることを、期待したいと思います。
質問状で研究所に問われているのは、声を上げた人々に耳を傾けて寄り添うことだと思います。私自身も、このような事件が、中国の「民運」だけでなく、日本や世界中の社会、家庭、企業、アカデミア、そして社会運動のなかでも続いていることに対する認識の甘さがありました。滕彪氏が登壇することで、そのような声が無視されたと思われたことに申し訳なく思い、みなさんの声に真摯に耳を傾け、ともに考え、教えを乞いたいと思います。
主催者である研究所が、みなさんの問いに誠実に答えることがなければ、今後の取り組みや滕彪氏らリベラル派の人権の取り組みも、フェミニストの皆さんたちから信頼を得ることはできないと思っています。中国と世界の民主化を展望するうえで、天の半分を支える女性たちの参加がなければ、強大な相手には対抗できないと思います。
次に三つ目の質問にもかかわることですが、声を上げた人々が逆に不安に駆られてしまうこと、告発がなかったことにされること、声を上げ指摘することでさらに批判にさらされる事態に直面するかもしれないということについて、僕の認識が甘かったと思います。その点についてはお詫びするとともに、そのような不幸な事態にならないように努力したいと思います。
本来必要だったのは、フェミニズムや#MeTooとの恒常的な対話や交流だとおもいます。つまり、自分では思いが至らない問題について、女性たちが主体的に参加し、問題を指摘しやすい環境に配慮し、僕自身も社会的な議論の中に常に身を置くということです。そして相互に意見が交わせる安心した関係性のなかで、深刻な事態につながる可能性のある事は相互に指摘しあえるように配慮しつつ、皆さんからの指摘を受け止め、真摯に対応することだったと思います。
またセイファースペースの確保、グラウンドルールの確認、告発者の防衛、第三者機関による調査など、#MeTooや社会運動での議論や実践を今後の研究課題や活動スタイルのなかに組み込んでいくことで、一次被害、二次被害を防ぐことにつながるのではないかと思います。それは社会全体をフェミニズムの主張によってブラッシュアップするということでもあり、僕自身もつねに意識変革が必要だということだと思います。
四つ目の質問についても、たいへん耳の痛いことです。性暴力やハラスメントはこの社会に隅々まで浸透しているなかで、すべて個人の自覚に頼っているだけで、具体的な取り組みがなされていないという現状があります。今回のシンポジウムでは登壇者に女性がほとんどいないという残念な状況のなか、登壇された阿古先生やシンポジウムを支える女性スタッフ、大学当局の女性職員らのがんばりで実現にこぎつけたという一面があると思います。そのようななかでは、やはり常に女性たちからの指摘に向き合うような環境づくりが必要だと思いました。
公開書簡で述べられている質問の根拠は、そのいずれも、とても説得力のある内容で、大変勉強になります。
本来であれば、もっと早く、皆さんの意見を聞く機会を作り、積極的に応えていかなければなりませんでした。指摘されている問題は、滕彪氏個人の問題ではなく、私個人のことにも当てはまるし、性暴力が容認される社会全体の問題でもあり、そのような社会を転換するための公共の学習の場となるはずのシンポジウムが、逆に女性たちを分断したり、被害をさらに抱え込んだりすることにならないよう、もっと意識的に動くべきでした。たいへん申し訳なく思っています。
私自身はリベラル派ではなく左翼ですが、これを「リベラル派の問題だ」として知らぬふりをするつもりはありません。左翼の中での女性差別はもっと深刻かもしれません。社会変革の同盟者であるリベラル派、そして天と社会運動を支える半分の人々や、それ以外のセクシャルアイデンティティを持つ人々との連携なくして、民主的で階級的な社会変革を実現することはできないと思っています。
今回のシンポジウムで提起された様々な議論はとても示唆に富むものであり、その成果を真に社会全体に還元するうえでも、研究所の誠実な対応が望まれます。今後とも継続した協力ができればと思っています。
稲垣 豊
シンポジウムをお手伝いした一人として
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