満洲鉄道唱歌
藤晃太郎・作詞 古關裕爾・作曲
音频请见:満洲鉄道唱歌(上・下)霧島 昇・松原 操/松平 晃 作置版
(上)
- ああ大陸の朝ぼらけ
波も微笑む大連の
昔語りを後にして
旅順の山の岩かげに
涙で偲ぶ肉弾史 - 今目覚ましく起ち上る
あじあの響き溌剌と
世界に誇る快速車
線路の彼方野は晴れて
血潮の跡に黍の波 - 見よ奉天の大空に
なびく先駆の満鉄旗
試練の坂も幾度か
越えて一万有余キロ
招くも嬉し旅心 - 東の門戸安東市
西国境の山海関
二条は結ぶ日・満・支
広軌の夢は安らかに
覚めて万里の長城に立つ
(下)
- 興亜のダイヤ狂ひな
王道万里京図線
楽土の栄眺めつつ
千振、彌栄過ぎゆけば
夕日に赤し松花江 - 伸び行く大厦高楼に
棚引き匂ふ五色雲
國都を北に距たれば
改軌一夜になると聞く
思出多き京濱線 - 装ひ駅既に新しき
哈爾濱過ぎて國の涯
黑河満洲里綏芬河
邊土も今や開發の
車輪はめぐる十重二十重 - ああ王道は鐡路より
日に日に隆り日に進む
しつかと大地踏みしめて
理想に燃ゆる全満の
民よ高らにいざ歌へ
创作背景:
満洲鉄道が路線長一万キロを突破したことを記念して、満洲鉄道旅客課は、満洲新聞社、コロムビアとタイアップして、『満洲鉄道唱歌』を作ることになり、歌詞を広く一般から公募した。
古関と西條八十、久保田宵二が選者として満洲に招かれたが、西條は都合がつかず渡満を見送った。
『満洲鉄道唱歌』は、松平晃、松原操、霧島昇の三名の歌手が歌い、発表会もこの三名が満洲に渡って、各地で開催された。
この年5月11日、ソ満国境でノモンハン事件が勃発し、関東軍とソ連軍とが戦闘を繰り広げていた。
そんな時期ではあったが、古関と久保田は、満洲全域を視察する旅に出た。西はチチハル、北はハルピン、東はチャムス、牡丹江、図們、南は大連、新義州まで足を延ばした。
ノモンハン事件のため、各地とも灯火管制をしており、暗闇の中の満洲旅行だったが、最後の大連に着いた頃、ようやく停戦協定が結ばれ、灯火管制は解除になった。
古関裕而、三十歳の年である。
来源:緑の指に乞食の眼.com